阿蘇 最終更新日:2012年6月20日 【阿 蘇】 古代~阿蘇火山のなりたち 阿蘇の神話伝説の主人公となるのは、神武天皇の孫神とされる健磐龍尊(たけいわたつのみこと)です。健磐龍尊が阿蘇のカルデラ内に溜まった水を流し、美田にしようとして、外輪山の一角を蹴破ろうとしますが、これが二重になっていたため蹴破れなかったという言い伝えに「二重の峠」の由来があります。 また、「立野」付近を蹴破ると、溜まった水が流れ出し、阿蘇にお米が作れるようになりましたが、その時、阿蘇谷の主であった鯰も流されて川が濁ったことから、この地を「黒川」というようになったとか。その大鯰が流れ着いたのが嘉島町の「鯰」で、鯰の骨を俵に入れたところ、六荷(約360キロ)もあったため、「嘉島町六嘉」というようになったという壮大な伝説が残っています。 草部吉見神社 中世~加藤清正 日本各地に弘法大師(空海)の伝説がありますが、熊本でも阿蘇の杖立温泉は、弘法大師伝説からその名がついたといわれています。平安時代、旅の途中で訪れた弘法大師は、温泉の効能にいたく感銘されたそうです。そして持っていた竹の杖を立てたところ、節々から枝や葉が生えてきたので、杖立と呼ばれるようになったそうです。杖立温泉の名の由来にはその他にも、杖をついて湯治にやってくる病人や老人が、帰る頃には杖を立て忘れて帰るからという温泉の霊験をたたえた由来もあるといわれています。 杖立温泉 近世 細川家の時代 南阿蘇村にある白川水源は、環境省が選定した昭和の名水百選に選ばれている湧水地です。毎分60トンもの清水が湧き出しています。この水源地内には白川吉見神社があり、その神域としてもこの水源は保護されてきました。これは熊本藩第3代藩主、細川綱利公が元禄年間に造営したものです。この綱利公は熊本市の八景水谷も命名したことで知られており、水を愛したお殿様でした。 他にも、阿蘇北外輪の的石に、歴代の熊本藩主が憩いの場としていた庭園、的石御茶屋跡があります。 的石御茶屋跡 近代~(その他) 阿蘇には白川水源や池山水源をはじめとする数多くの湧水地があります。 また、温泉も多く、代表的なものとして、小国の杖立温泉、黒川温泉、岳の湯、はげの湯、満願寺温泉、夏目漱石など文豪ゆかりの内牧温泉、坊中温泉、赤水温泉、南阿蘇には地獄、垂玉温泉、栃木温泉などの温泉があります。 阿蘇神社周辺にはたくさんの湧水が噴出し、阿蘇神社の楼門前にある「神の泉」、参道商店街には、「金運の泉」「文豪の泉」などの湧水が、水基めぐりとして参道を歩く人々の喉を潤しています。 岳の湯 水基