頼山陽(1781~1832) 最終更新日:2012年6月22日 大坂府出身/歴史家、思想家、文人 学者として京都に暮らしていた40代のはじめ、九州を旅行。その際、長崎を経由して現在の天草郡苓北町を訪れました。目的は、当時、富岡城下に開塾していた儒者の渋江龍淵に会うためだったと伝えられています。その時、夕陽が沈む天草灘の美しさを詠んだ漢詩が、苓北町にある頼山陽後援の石碑に刻まれています。