球磨川河口にある無人島です。「日本書紀」に、景行天皇の九州行幸の折り、休息の際に水がなく、従者が神に祈ると水が湧きだしたためここを水島と呼ぶようになったと記述されています。また、奈良時代の官吏で筑紫に遣わされた長田王(ながたのおおきみ)が水島を詠んだ2種の和歌が万葉集に歌われています。
「聞きしごと まこと貴く くすしくも 神さび居るか これの水島」
(話に聞いていたとおり、ほんとうに尊く、何と神々しく見えることか、この池、水島は。)
「芦北の 野坂の浦ゆ 舟出して 水島に行かむ 浪立つなゆめ」
(芦北の野坂の浦から、船出して、水島に渡ろうと思う。波よ、けっして立ってくれるな。)